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STEP1 活動事例を知りたい

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3・11オモイデツアー

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仙台市沿岸部の荒浜・蒲生地区は、東日本大震災による大津波で甚大な被害を受けた地区です。
震災後は、災害危険区域に指定され、住民は他の土地への移転を余儀なくされました。
自分たちの住んでいたまちのあり様を伝えようと活動する地元住民と、昔の写真を見ながら思い出を語り合うことで、過去とのつながりを見出し、元のまちをより深く知ろうと活動する市民団体が一緒になって行う取り組みがあります。

※この記事は「協働まちづくりの実践」と同じ内容を掲載しています。

RELATION MAP
MEMBER

3.11オモイデアーカイブ
佐藤 正実さん

荒浜再生を願う会
貴田 喜一さん

中野ふるさとYAMA学校
佐藤 政信さん

舟要の館
笹谷 由夫さん

海水浴場行きのバスをもう一度走らせたい!

「深沼海岸」と行き先を表示した市営バスが、荒浜の貞山堀に架かる橋を越えた瞬間、車内と終点バス停付近で同時に歓声があがりました。乗客は若林区荒浜地区の住民と、3・11オモイデツアーのバスツアー参加者。バスの到着を迎えたのは、同様の津波被害を受けた宮城野区蒲生地区の住民と、「1日限りの市バス復活」ツアーを企画した3・11オモイデアーカイブのスタッフたちでした。2016年12月のことです。

深沼海岸は震災以前、仙台市唯一の海水浴場としてにぎわい、毎年夏になると、深沼行きのバスは海水浴客でいっぱいになりました。「そんな風景を、再び復活させることができないだろうか」。3・11オモイデアーカイブ代表の佐藤正実さんのもとに、一人の若いアーティスト、佐竹真紀子さんから企画の提案がありました。佐竹さんは、被災した現地に複数の「偽バス停」を設置し、震災前のまちの姿を想起させる活動をしています。その活動に共感した佐藤さんたちスタッフは、佐竹さんと一緒にバス復活のために企画会議を重ねました。仙台市交通局との幾度かの交渉の結果、仙台駅東口から地下鉄荒井駅を経由して深沼海岸まで、震災前とほぼ同じルートでバスを走らせることを実現させたのでした。

佐藤さんは「自分たちが企画する3・11オモイデツアーは、津波で失ったまちの痕跡を観る『ダークツーリズム』ではなく、多くの人々の営みが確かにあったというまちの証を感じる『ウォームツーリズム』です」と言います。まさに、海水浴場行きのバスを復活させたツアーは、荒浜というまちが存在したという証をまざまざと印象付けるものでした。

偽バス停・舟要の館前に並ぶ、オモイデツアーの参加者。一日限りの市バス運行が実現。

共感が広がり人々が集まるプラットホームに

3・11オモイデツアーの始まりは、2013年度に震災メモリアル事業として仙台市の市民協働事業提案制度に採択されたことでした。以後、仙台市震災メモリアル・市民協働プロジェクト「伝える学校」の中で、震災アーカイブを利活用した3・11の伝え方を模索してきました。

初年度の2013年度は、震災の記録をより自分事として捉えてもらおうと地元大学生たちが主体となって企画した、仙台市沿岸部の蒲生、荒浜、閖上を巡るルートツアーをベースに活動。2014年度からは「伝える学校」の事業として、ツアーを運営する市民を「ゼミ生」として広く募集し、沿岸部の町々を巡り、より魅力あるツアーの企画に取り組みました。2015年度になると、これまでのルートツアーから、まる一日荒浜を楽しみ、地元の人々と交流を図る滞在ツアーにシフト。2016年度は、活動の中心を担ってきた特定非営利活動法人20世紀アーカイブ仙台の東日本大震災アーカイブ部門が「3・11オモイデアーカイブ」として独立しました。荒浜への「1日限りの市バス復活」が実現したのもこの年です。

2017年度は、荒浜と蒲生を隔月で訪れる滞在型ツアーを中心に、荒浜に続いて「市バスに乗って、蒲生へ」が実現し、沿岸部のまちの交流に力を入れて活動を展開してきました。参加者も年々増加し、2014年度は88人、2015年度は220人、2016年度は506人、2017年度は558人の人々がプロジェクトに携わっています。

このプロジェクトの特筆すべき点の一つに、「スタッフ制」という、市民が参画しやすい仕組み作りがあります。当初、数名からスタートしたスタッフは、2017年4月には約50人になりました。学生から社会人まで年齢層も幅広く、仙台市民にとどまらず、宮城県内の近隣市町村、東京都、長野県など市外からの参加も目立ちます。

運営に関しては、カチッとした会員資格や規約を設けていません。月に一度のスタッフミーティングで活動方針を話し合い、活動の内容、スケジュールを決めていきます。普段はSNSを利用して連絡や情報交換を行うという極めて緩やかなネットワークが特徴です。

企画も、スタッフがやりたいことはどんどん採用。主軸となるバスツアーなどのほか、荒浜の海辺で星空を観る会、沿岸部の風を感じるノルディックウォーキングなど、スタッフのアイデアによるイベント企画が生まれました。「提案者を一人ぼっちにさせない。やりたいという思いに共感し、実現させるにはどうしたらいいか、みんなで知恵を出し合う。そして、活動を楽しみに変えることが大事だと思っています」という佐藤さんの気遣いのなかに、スタッフたちが自由に安心して活動できる秘密がありました。

まる一日荒浜を楽しむツアーは、海岸の清掃活動から始まります。

写真のキロクとキヲクが、まちと人をつなぐ

さらに鍵となるのが、地元団体との協働です。2015年度から始まった、まる一日地元の人々と交流を図る滞在型ツアーの実施にあたっては、荒浜再生を願う会をはじめとする地元で活動する団体との連携は欠かせないものでした。

ツアーの参加者は、住民が主体となって行う海岸清掃にともに取り組んだあと、地元の人たちが振る舞う「おまかない(食事)」をいただき、住民の案内でまち歩きを楽しみ、思い出を語り合うというフルコースを体験。地元の人たちと交流を深める時間がたっぷり用意できるのは、滞在型ならではです。

ツアーの中でも特に重要なコンテンツは、昔の写真を見ながら行う「オモイデを語る会」です。写真によって想起させられた個人の記憶がその場に居合わせた人たちと共有されていく過程は、「プログラムの実施を受け入れてくれる地元の団体の存在と拠点があるからこそできることです」と佐藤さんは言います。

荒浜再生を願う会代表の貴田喜一さんも「震災直後は現地再建への思いばかりが先行していた」と振り返ります。「3・11オモイデアーカイブや他団体と一緒に活動していくうちに、互いに意見や提案を出し合いながら、ふるさとの再生を進めることが大切なんだと気が付いた。震災後、住民だけでは抱えきれない課題が山積みの荒浜だけど、外からやって来た人たちが『荒浜、大好き!』と声を掛けてくれたことが、自分たちの活動の継続に何よりの励みになった」と言います。

おまかないで振る舞われる石焼ピザは絶品。

「オモイデを語る会」昔の写真を見ながら生き生きと思い出を語る蒲生の住民たち。

沿岸部のまちの交流そして、余所者たち

一方、荒浜再生を願う会と3・11オモイデアーカイブの協働の取り組みを「うらやましく思っていた」というのは、蒲生地区の笹谷由夫さんでした。2015年に自宅のあったところに人々が集える場所として「舟要の館」を建てた笹谷さん。「佐藤さんから、蒲生地区でオモイデツアーを行いたい、ツアーの拠点に使わせてもらえないかと相談を受けたときは嬉しかったですね」と話します。「復興の力となるのは、若者と余所者と地元の馬鹿者」と、ツアーでつながった若者と余所者に、今の蒲生の現状と「蒲生という地域がここにあること」を広く伝えてほしいと期待しています。

また、中野・蒲生地区で活動する地元住民団体にも働き掛けます。高砂市民センターを拠点に活動する中野ふるさとYAMA学校もその一つです。高砂市民センターとの共催で実施している日和山登山(日本一低い山、毎年7月1日開催)のほか、ふるさとの歴史や昔の町の様子などを伝える活動をしています。代表の佐藤政信さんは「私たちの活動は、3・11オモイデアーカイブの活動と合い通じる点が多く、一緒に活動するのは自然な流れでした」と言います。2016、2017年にツアーに盛り込んだ日和山登山は、3・11オモイデツアーの人気のプログラムとなりました。

日本一低い山に認定されている蒲生の日和山に登頂成功。

まちのファンを増やす 自走し、持続可能なプロジェクトへ

多くの人々の思いを乗せて走り続けてきた3・11オモイデツアーですが、2016年度末に仙台市との協働事業が終了となり、資金面の課題から活動継続の岐路に立つことになりました。そこで、自走する仕組みを取り入れようと、クラウドファンディングに挑戦。結果、175人から200万円を超える支援金を集め、活動を継続するめどが立ちました。「現地で活動する人も必要ですが、資金提供という別の形で団体を下支えしていただくことは大変ありがたいですし、これも参加の一つの形なのかもしれません」と話す佐藤さんたちは、離れていても一緒に活動しているという思いは同じだと考えています。「今後も他団体と積極的に協働しながら、参加者や新しい仲間を巻き込んで、活動の活性化につなげていきたいです」と活動継続のための目標を語ります。

ともに活動するスタッフの一人は「震災後、なかなか被災地に行くことができなかったんです。3・11オモイデツアーに参加したことがきっかけで、自分にもやれることがあるんだと気付きました」と活動に手応えを感じています。また、外からやってきたスタッフたちも「荒浜や蒲生に通っているうちに、海辺にもうひとつ親戚の家ができたようです」「地元の人に名前を覚えてもらい、一緒に食べたり笑ったりできることが嬉しいですね」と口ぐちに語ります。

これからも荒浜や蒲生の「ファンをつくる」活動が続きます。「3・11 以前のまちと人に出会う旅」は、多くの市民と「関わりシロ」を広げながら、アーカイブ素材の新たな使い方を模索し記録していくことに魅力があるようです。

(取材・文:市民ライター 葛西 淳子)

毎回新しい人たちが参加し、荒浜ファンが増えていきます。偽バス停・荒浜ロッジ前にて。


CONTACT

3.11オモイデアーカイブ
〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610
Mail: info@sendai-city.net / Tel: 022-295-9568

更新日:2019.03.14